理事長からの
メッセージ

知識だけではない。現場で必要とされる人材を育成していく。

昌明福祉専門学校 理事長
水谷 昌明

名前と普段の生活について

水谷昌明といいます。社会福祉法人昌明福祉会の理事長であり、
また港寿楽苑に隣接する善行寺というお寺の住職をしています。

普段はお寺の仕事と福祉法人の仕事を行なっております。
休みの日は本を読んだり、子供たちとプールへ行ったりしています。

祖父母に育てられたのが昌明福祉会の設立のきっかけです

昭和59年の12月に昌明福祉会を設立したと記憶しております。
設立をさかのぼるところの10年ほど前に
昭和49年1月20日に私からすると、おじいさんを送らせてもらいました。

そして、昭和53年の3月26日におばあさんを送らせていただきました。
祖父母の話をするのは私はおじいさんとおばあさんにお寺で育てて
いただいたということがありまして、設立のきっかけになっているからです。

母が私が生まれた年に亡くなりまして父親が再婚しましたので、
私はおじいさんとおばあさんのところへ引き取られました。

そしてお寺で、お育てをいただいたということがあります。
そういう意味でですね、私はじいちゃんばあちゃん子でした。

そして祖父母と生活をする中で、昭和52年からおばあさんが亡くなる
53年の3月まで寝たきりで、認知症になってしまいました。

認知が入るまでは、おばあさんと夜、横になっておりますと、
「トイレ行きたい」と大変遠慮しながら、私にいうことがありました。

トイレの補助を行なっている中でも
「男のお前にこんなことをさせるのは、申し訳ない」と言っておりました。

ですが、寝たきりになって半年ぐらいしたら
非常に頭のクリアであったはずのおばあさんが、夜も、昼もなくなりました。
日中私が学校へ行ったり、仕事をしているときには、
おばあさんをお手伝いさんまた看護師さんにお守りをしてもらっておりました。

そして引き継ぎのときに、

「今日はおばあちゃんよく寝てみえましたよ。」

といわれますと、正直ぞっとしたことが何度もあります。

そういった日には夜中に寝てくれないということもあります。
そうしますと、夜中に何度も起こされて、
寝れないおばあさんは寂しかったんでしょうね。何度も起こされてですね、
私が寝れない。
そういう生活が続きました。

介護をする中で叔父の助けと介護の実際を実感する日々でした

そしておばあさんの介護をしてるときに、私からすると叔父ですが、病院を開設しておりました。
1日の診察が終わると、どんなに疲れていても、お寺へやってきまして、
私とおばあさんが隣同士で寝ているとそのおばあさんの反対側へ叔父が横になって
一緒に寝たり、たとえ5分でも、横になって、いろんな話をしてくれました。
そう言った祖母の介護と叔父との関わりが、
この社会福祉法人昌明福祉会を設立する原点であるように思います。

昭和58年から私はお寺から叔父の病院に行くようになりました。そして、
特別養護老人ホームを叔父が中川区で開設しておりました。

そこを時々見に行ったり、港寿楽苑を開設するための準備の相談をしたりしておりました。
そして昭和60年の4月にお寺の隣に港寿楽苑という特別養護老人ホームが開設しました。

昌明福祉会という名前も、私も坊主ですので、称名念仏の称名を、
福祉会の名前にする提案をしたんですが、登記されたのをみたら、
私の名前がついておりました。

叔父に「これはちょっと・・・」と言って意見したことがありますけども、
今思えば、ありがたかったなと思います。
お寺の隣に自分の名前がついた昌明福祉会という法人がある。
私は、知りません。ということが、言えなくなりました。
逃げようと思っても逃げることができない。そういう意味ではですね、
ありがたかったと思います。

福祉人材の不足に対して
「学校法人ではなくて、社会福祉法人として何かできないのか。」
学校を設立を考えるきっかけでした。

社会福祉法人昌明福祉会で福祉の専門学校を作る。
実は私の中では、あまり強く思っていませんでした。
しかし、現実の介護の現場というのは近年募集をしても介護人材が集まらない。
近隣の老人ホームや病院も介護人材が1人いるといくつかの
法人事業所が取り合いになってしまう。

そういった現実があります。だからこそ福祉人材の不足に対して
「学校法人ではなくて、社会福祉法人として何かできないのか。」
ということが法人内で発言がありました。

私もその発言を受けて介護の現場で、働いている人たちが先生になって、
介護技術・介護知識の現場での受け伝え、その方が現実的かなと思いました。

知識だけではない。現場で必要とされる、人材を育成していく。
もちろん学問としても、大切であることは、わかります。
ですが今必要としてあるのは、介護の人材です。
1人1人が夢を持って、自分の仕事に誇りを持って、仕事をしてもらえるような
介護人材です。
もちろんそう言った介護人材が働いていて楽しい、生きがいを感じてもらえるような職場を作っていきたいという思いがあります。

ただ学ぶだけでなく、意義のある誇りのある仕事として介護士を目指してほしい

なので私たちは学校を作るというよりも現場でどう働くのか。どう生きるのか。
これから働く人たちが自分の仕事として、意義のある、誇りを持って仕事ができる、
そういった環境を作れないかと思っています。
私どもは小さな法人ですけども、先生になってもらえそうなベテランの介護士、
ケアマネージャー、等々が揃っています。

そういった現場でこそ、受け伝えていく・学んでいただける、場を作れると思いまして。
当法人で介護の専門学校を作るという決断をしました。

今回それが実現しかけておりますので、意欲のある生徒さん方や学生さん方に、
来ていただけるとありがたいなと思います。

人様に対し尊敬の気持ちを忘れずに寄り添っていただきたい

理念を振りかぶることもないですが、
当法人は出発点がお寺にあります。
昔は、町内でお伺いすると、「お陰様だなも」と。
おかげさまという言葉と、ありがとうという感謝の気持ちを言葉にする人が、
今よりも多かったような思いがあります。
ですから生徒さん方にはお敬いの気持ちを持って、人様に対し尊敬の気持ちを忘れずに
寄り添っていただければと思っています。
そういうことができれば十分かなと思います。

介護ということも何を学ぶかだけでなく、お年寄りと接する中で、
その人の人生っていうのか、生きざまを、学んでいくということもあります。

そういう意味においては、今の昌明福祉専門学校、港寿楽苑の周りというのは、
大変恵まれた環境です。

入居者様の生活と学びの場そして、アルバイトなど働きながら学ぶ環境が整っています

昌明福祉専門学校の隣は特別養護老人ホームがあります。
そして反対側には、地域密着型の施設もあります。またグループホームも歩いて、2分、3分です。
生活という意味においても、老人ホームに入所、入居される場合、
仏壇をみんな置いて老人ホームに入れられますが、港寿楽苑のすぐ横には善行寺というお寺があります。
仏様が見えて、生活の場があって、そしてすぐ隣に学びの場がある。
そして学生さんたちもアルバイトをしたり、実習をしたりと福祉専門学校として固まってあります。
有意義な学生生活を送っていただくことができるのではないかと思っております。

校長先生は大学で長らく福祉専門の教授として勤めていらっしゃいました。
私どもの法人で設立のときから理事として、助けていただいた岡崎先生が
今回教授としてまた校長を引き受けてくださいました。

教員の多くが私どもの法人で介護の現場で働いて、それを学んできた人たちです。
法人は、あおなみ線の駅から歩いて5分です。名古屋駅から、あおなみ線に乗って、15分。
駅から歩いて5分、近くには入国管理局もあります。

ですから、日本で生活をしていただく方であれば日本人・外国人という差別なく
ともに学ぶものとして手を取って携えていけると思っております。

まず足を一歩踏み出すこと。もし迷っているなら、まず行動すること。

迷いということは、常に私もあります。
失敗もたくさんしてきました。まず足を一歩踏み出すこと。もし迷っているなら、
まず行動すること。そして同じような仲間と一緒に机を並べて
そして自分というものをもう一つ掘り下げていくという作業ができれば学生として、それは十分なことでないかなということを思います。

迷っていて何もしない。ではなく迷いつつ行動していく。
そして失敗したと思ったらそこからまた新たな取り組みをしていく。
そういう仲間として、私どもの学校に来ていただければ、幸いかと思います。

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